「満足死」を学会に発表
国立京都病院(現在の京都医療センター)の
内科医長だった疋田さんは50歳を機に退職すると、
予防医学をやりたいと当時の佐賀町にやってきた。
1972年のことである。
そこで彼は、
余命いくばくもないのに、
どうせ死ぬなら家で死にたいと
退院してきた患者を引き受けたことで
「満足死」という思想に思い至る。
その患者が亡くなる数日前に
「先生、ありがとう」と手を合せて感謝し、
遺族からも感謝された。
その体験から
「本人の満足、家族の満足、医療側の満足」を
満たした死を「満足死」として学会に発表した。
そこで、
みんなが望む満足死とはどんな死なのか、
疋田さんはあらためて住民に尋ねた。
すると圧倒的に多かったのが
「死ぬまで元気でいて、
逝くときは自宅でぽっくりと逝きたい」だった。
どうすればぽっくり逝けるのだろうか。
「老人と性は関係ない」という老人神話
体を動かして健康になることだけが
満足な生き方につながるわけではない。
年を重ねても仲間がいれば楽しいし、
それも好きな人ならなおいい。
疋田さんがそのことに
気付いたのはある悲劇があったからだ。
妻に先立たれた男性が
診療所でリハビリに励んでいたが、
あまりにも熱心なので、
疋田さんは彼の仲間に尋ねてみた。
すると、
茶飲み友だちの女性がいて、
元気で彼女と会いたい一心で
リハビリに励んでいるのだという。
ところが、
そのことが自分の家族に知れると、
相手の女性は遠ざけられてしまった。
女性に会えなくなった男性は、
リハビリに見向きもしなくなり、
やがて寝たきりになって死んだ。
疋田さんによれば、
原因は「老人と性は関係ない」という
「老人神話」があるからだという。
年を重ねたら枯れたようになるという
先入観は今も根強いが、
体に生理的な変化があっても
性への関心がなくなるわけではない。
「性を自由に語れる雰囲気があれば、
元気になる年寄りはずいぶんいるのに!」と
疋田さんは悔しがった。
異性を紹介するとうつ病が消滅
以来、疋田さんは、
必要とあれば患者に
異性を紹介するようになった。
たまたま私が取材していたときだ。
愛妻に先立たれてから何も手につかず、
うつ病になった一人暮らしの男性がいた。
疋田さんによれば
「健康度が高いのは独居老人が1番で、
その次が老夫婦、
3番目は子供と同居する老人」だそうだが、
ただ夫は妻に先立たれると
精神的にも不安定になりやすく、
この男性もそうだった。
病院で薬を処方されたが、
副作用で歩くのが困難になっていた。
男性から相談を受けた疋田さんは、
まず薬を断たせたうえで、
車椅子で一人暮らしをしている
女性の相談相手になってほしいと頼んだ。
男性はちゅうちょし、
拒んだが、
疋田さんが
「あんたは話をして相手に喜んでもらうんやから、
これは老老ボランティアとちがうか」と説得すると、
ようやく納得した。
数日後、
世間話をするつもりで女性を訪ねると、
相手は喜び、
何度か通ううちに男性のうつ病が
消えてしまったという。
他者や社会とつながることで、
少しでも自分が役立っていることを実感できると、
生きる力がみなぎってくるのだろう。
「貯筋」
「疋田さんの健康法はジョギングだけですか?」と
尋ねたことがある。
当時は学会に出る日以外は休診日がなく、
住民から電話があれば、
24時間いつでも往診に出かけていた。
地域に医者は彼一人だから
病気で休めば困るのは住民である。
だから健康には人一倍気を付けているはずと
思って尋ねたのだが、
「はて、あとは食事ぐらいかなぁ」と言った。
ある日、
往診の帰りに地元のうどん屋に入ったことがあった。
そこで注文したのが大盛りで、
私にはとても食べきれないボリュームだったのに、
彼はそれを軽く平らげてしまったのだ。
驚いて、
いつも食べている朝食を見せてほしいと、
翌朝、自宅を訪ねたが、
食卓に並んだメニューに目をむいた。
食パン1枚、ゆで卵2個、
ハチミツ、ヨーグルト、牛乳400cc、
ホウレンソウのおひたし、トマト2個、キュウリ1本、
納豆、それに胡麻の粉末ときな粉を混ぜた
地元の名産「胡麻きな粉」が添えられていた。
かなりの健啖家である。
とても80歳を過ぎた人の食事とは思えなかった。
昼食もそうだが、
量は多くても基本的に炭水化物は少なく、
おかずの種類が多い。
疋田さんは、
1日30種類以上の食材を食べるように心がけていた。
科学的根拠からでなく、
特定の食材に偏らず、
満遍なく食べることを習慣にしてきたのだろう。
これは今も続いているそうで、
99歳で歯が抜けてから粥のような流動食になったが、
それでも冒頭で紹介したようにかなりの量である。
ただ食事を用意する側にすれば、
30品目以上で献立を作るというのは
なかなか大変なようで、
夫人によれば、
30品目以下の食事が2、3日続くと、
「この頃はちょっと食事が乱れているな」
とつぶやくそうだ。
疋田さんにとって食事は、
運動と共に健康維持の基本である。
例えば風邪をひいて熱を出しても、
薬は一切飲まず、
食事などで自然治癒するのを待った。
おかげで、
誤嚥性肺炎になったときも抗生物質を
飲んだらすぐ治ったという。
100歳を過ぎても元気なのは、
これを地道に続けてきたからだろう。
今は運動をしていないが、
過去の「貯筋」(筋肉)で食べている
といえるのではないだろうか。
「あそこは家にいるより孤独だ」
現在の疋田さんはといえば、
デイサービスには
「あそこは家にいるより孤独だ」と言って行かずに、
ほとんど自宅で過ごしている。
集団生活は性に合わないのだろう。
では孤独かというと、
そうでもなさそうで、
住民がカンパを募って大理石の立派な
顕彰碑を建てたおかげで、
小学生らが
「生きているうちに碑が建つような
立派な先生に会いたい」と
訪ねてきたり、
半生を地域医療に尽くした疋田さんに
会ってみたいと若い医師がやって来たりするので、
家にいながら今の生活には
けっこう満足しているようである。
<参考:ドクター新潮社>
1喧嘩はするな、
2意地悪はするな、
3過去をくよくよするな、
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