経営者や一流アスリートをはじめ、
メジャーで活躍中の大谷翔平選手にも影響を与え、
精神的支柱となっている中村天風。
そんな天風による
「生きていく上で重要な教え」とは
どのようなものなのか。
人生を積極的なものに変える天風の教訓を、
池田光氏が端的に解説する。
中村天風事典』(PHP文庫)を
一部抜粋・編集したものです。
学びとは何か
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<天風の言葉>
カリアッパ先生にこういうことを言われた。
(中略)「おまえの知ってることは、
ただもう値打ちのないことばっかりだ。
(中略)もう少し馬鹿になれ」
(『信念の奇跡』)
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カリアッパ師との不思議な縁に導かれて
天風が向かったのは、
ヨーガの里であった。
インドの東北部、ヒマラヤ連山の東の端に、
標高約8600メートルのカンチェンジュンガがそびえる。
その山麓の村里に辿り着いた。
村里ではカリアッパ師は一身に尊敬を集めていた。
天風は最下級のスードラ(奴隷)として村に入れられた。
スードラは家畜よりも下に位置づけられる。
遠くから師の姿を仰ぎ見ながら、
師の教えを待った。
しびれを切らした天風は、
「いつになったら教えをいただけますか」
と直訴する。
しかしカリアッパ師は、
「おまえには、学ぶ準備ができていない」と、
答えるにとどまった。
それでもひれ伏す天風に、
師はどんぶりの形をした器を指さすと、
「この器に水を満たして運んできなさい」と命じた。
天風が器を置くと、
次に、
師は別の器に湯を運ばせた。
そして、
「水を張った器のなかに、湯を入れてみよ」と命じる。
湯を注ぐまでもない。
「いっぱい入った水のうえから湯を注ぎますと、
両方こぼれてしまいます」と、天風は答えた。
次の瞬間、
「器の水がおまえだ」と、師は一喝した。
「おまえの頭のなかには、
屁理屈が詰まったままではないか。
いくら私の教えを湯のように注いでも、
おまえには受け取ることはできない。
馬鹿になれ」
馬鹿になれとは、
屁理屈を捨てよ、ということである。
どんなにカリアッパ師がヨーガの教えを説いても、
屁理屈を通して解釈するなら学びにはならない。
頭をカラッポにすることが、
学ぶ準備だと天風は気づいた。
カリアッパ師は、
「よろしい。生まれたての赤ん坊の心になって、
今夜から私のところに来なさい」と優しく言った。
この日から師のそばで新しい学びを始めていく。
生きていることは当たり前ではない
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<天風の言葉>
感謝に値するものがないのではない。
感謝に値するものに気がつかないでいるのだ。
(『運命を拓く』)
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当たり前だと思うところに感謝はない。
当たり前だと思っていたことが、
当たり前ではないと感じたとき
、自然に感謝の言葉が出る。
睡眠から目覚めると、
天風はいつも、「ありがとうございます」と
感謝の言葉を口にした。
なぜ目覚めたことに感謝したのか。
「あなた方は生きているのが当たり前だ、
目をさますのが当たり前だ、とこうなるんだ。
当たり前じゃありませんよ」
(『成功の実現』)と語る。
軍事探偵となって死線を経験したからこそ、
生きていることは当たり前ではなかった。
目を覚ませば生きているという事実は、
「有り難い(有ることが難しい)」ことだったのだろう。
人生に二生はない
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<天風の言葉>
一生は断然一生で、二生はないんであります。
いっぺん死んじまえば、
二度味わえはしないこの人生、
こりゃあ尊いものです。
(『心に成功の炎を』)
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天風の口グセの1つ。
人生は一回かぎり。今を大切にしようという教え。
ほかにも、
「人生はオンリーワンページである」
「人の一生は、なんとしても一回限りのものである。
絶対に二生はない」
(『真理のひびき』)など。
これほどまでに、
人生の一回性を強調するのは、
人生をなおざりにしている人が
散見されるからであろう。
生きているうちなら、失敗しても、
やり直しがきく。
やらなければ失敗はない。
が、やらないことは、生命を刻々と消費するだけ。
一回かぎりの生涯を、
そんな粗末に扱っていいのかと問うているのだ。
三勿三行
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<天風の言葉>
「正直」「親切」「愉快」ということに努めてごらん。
怒りや悲しみや怖れに、
ふりまわされちゃいけないよ。
これを「三勿三行の教え」というんです。
(『信念の奇跡』)
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3つのやってはいけない
"三勿"。3つの実践すべき"三行"。
・三勿....
怒るな、
怖れるな、
悲しむな、
という3つのやってはいけないこと。
どんな人間にも感情があり、
感情の発露は自然なことだ。
だから、怒っても、怖れても、悲しんでもいい。
では、なぜ「怒るな、怖れるな、悲しむな」なのか。
天風が教えたのは、
感情にふり回されるな、ということである。
感情にふり回されるとは、
抑えきれないほど感情が過剰になることだ。
そこで、
怒り過ぎるな、怖れ過ぎるな、悲しみ過ぎるな、
と戒めた。
これが三勿である。
もし感情にふり回されたら、
人生の主人公は気まぐれな感情になってしまう。
その結果、生命は萎縮していく。
・三行....
正直、親切、愉快、
という3つの実践すべきこと。
この3つを実践すると、生命がいきいきする。
(1)正直とは、
本心や良心に恥じない行動。
やましいことがあると生命は萎縮する。
逆に、正直に生きると、生命はのびのびと膨らんでいく。
(2)親切とは、
本心や良心から現れた他愛の行動。
人への愛は、生命力の発露である。
(3)愉快とは、
他人に喜んでもらう楽しみのこと。
愉快には2つある。一時的なものと、長続きするもの。
一時的な愉快は、自分の本能を満たすだけ。
天風が最上とする愉快は、
他人に喜んでもらうことが嬉しいという、
持続可能な愉快である。
心一つの置きどころ
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<天風の言葉>
「人間の健康も、運命も、
心一つの置きどころ」。
心が積極的方向に動くのと、
消極的方向に動くのとでは、
天地の相違がある。
(『運命を拓く』)
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天風の口グセの一つ。
心の持ち方一つ、思い方一つで、
これからの人生に天地の開きが生じるということ。
人生に天国をつくるのも、
地獄をつくるのも、自分次第である。
「人生は心一つの置きどころ」という言葉は、
天風門下の多くの人々の心を捉えた。
岐路に立ったとき、この言葉を想起する人が多い。
ただ、ずっと消極的に生きてきた人が、
突然、積極的にはなれない。
日頃の修練がものを言う。
岐路に立ったときだけではなく、
つねに「心一つの置きどころ」が問われている。
<参考:文=池田光 >
1喧嘩はするな、
2意地悪はするな、
3過去をくよくよするな、
4先を見通して暮らせよ、
5困っている人を助けよ、
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