人生の目標は
「何かを成し遂げること」
ではない…
50代女性がコンビニのない
街で見つけた人生の本当の意味
心地よい暮らしをするにはどうすればよいのか。
Ritaさんは「日本にいる時は『便利=豊か』だと思っていた。
けれど、スペインに暮らすようになり、
不便さの中にこそ、
『心を整えるゆとり』があると知った」という――。
コンビニがなくてスーパーも早く閉まるスペイン
スペインには、日本のようなコンビニはありません。
スーパーも21時頃には閉まるところが多く、
日曜日にはすべてシャッターを下ろし、
街中がひっそりと静まり返る時間が流れます。
地域によっては毎日、
シエスタの時間である午後2時から5時頃まで、
商店がピタッと閉まってしまいます。
最初は「えっ、今? なぜこのタイミングで?」
と困惑しました。
でも、この「不便さ」が、
実は最高の贅沢にも感じるようになりました。
何も買えない日曜日は、それなら公園に!
遊歩道の終点まで! 今しか行けない展示会に!
と、自分と向き合うような時間を過ごすことが増えました。
慌ただしい日々では後回しになっていた
「自分自身」に、そっと耳を傾ける時間。
忙しさという「ノイズ」がないぶん、
心の中の「本当はどうしたい?」が、
少しずつ聞こえるようになってきたのです。
「何もしない」という選択
ある日、ふとした瞬間に考えました。
「何もしない時間が、
どうしてこんなに心地いいんだろう?」と。
日本では、時間が空けば「何かしなきゃ」
「どこかに行かなきゃ」と思っていました。
「駅に近いこと」「職場に近いこと」
「深夜でも買い物ができること」……。
そんな「便利さ」が暮らしの正解だと
思い込んでいました。
でも、スペインでは「何もしない」という選択が、
ちゃんと許されているような気がするのです。
「便利さ=豊かさ」ではない。
むしろ、不便さの中にこそ、
「心を整えるゆとり」があったのです。
朝、パン屋の焼きたての香ばしい匂いを感じ、
カウンターで新聞を読みながら1杯のカフェを
楽しむおじいさんの横顔を見て、
自転車に乗った子どもたちが、
広場でじゃれ合う声を聞く……。
どれも、特別なことではないけれど、
なぜかホッとする光景ばかりです。
そんな「暮らしの風景」に触れるたび、
こう思うようになりました。
人は高い場所を目指すことや、
たくさんのものを手に入れることよりも、
ただ、「朝をゆっくり迎えられる」
「空がきれいだと感じられる」
「焼きたてのパンに笑顔になれる」といったように、
自分の五感や心が反応していることこそが、
本当の意味での「豊かさ」なのかもしれない、と。
もちろん、
すべてが完璧に整っているわけではありません。
予定通りにものごとが進まないような、
不便なことはいくらでもあるし、
むしろ思い通りにいかないことのほうが多いのが、
海外での暮らしです。
でも、その「不便さ」が、
かえって暮らしを丁寧にしてくれました。
諦めではなく、肩の力が抜け、完璧を求めず、
自分に優しくなれたと感じます。
コンビニがなくても、電波が飛んでいなくても、
その不自由さの中に、
自分を取り戻すヒントがたくさん隠れているのです。
その余白が今の私にとって、
一番のご褒美なのかもしれません。
何かを成し遂げなくてもいい…
ひとりで海外で生活し、
私はひとつの「大きなテーマ」に気づきました。
それは、人生の目標は、
必ずしも「何かを成し遂げること」
じゃなくていい、ということ。
むしろ、
「自分らしく生きること」「自分の内側と
丁寧に向き合うこと」そのものが、
人生最大のチャレンジであり、
宝探しなんだと思うようになったのです。
日本では、
「目標」と聞くと、キャリアの達成や資格の取得、
結婚、家の購入……
といった「具体的な何か」を思い浮かべがちでした。
でも、そうした目標の多くが、
いつの間にか「誰かの期待」や
「社会の常識」に影響されていることも、
少なくない気がします。
私は、そうした「外側の軸」に合わせて
生きてきたひとりです。
ちゃんと働いて、
ちゃんと家庭を持って、
ちゃんと期待に応えなくては……。
でも、あるときふと、
「私、自分自身のために生きているのかな?」と、
心の奥で問いかけるようになりました。
スペインの暮らしは、
そんな私に「自分軸で生きる心地よさ」を
教えてくれました。
他人と比べない。
社会の枠にとらわれない。
「好き」や「心地よさ」に素直になる。
もちろん仕事もするし、努力もしますが、
人生の主役はあくまでも「自分」。
周囲の期待に応えるために生きるのではなく、
自分の感情や価値観にしたがって選び取っていく。
自分軸で生きるというのは、
「自分との対話」を重ねていくこと
なのだと感じています。
スペインに来たからといって、
何かすごい目標を成し遂げたわけではありません。
でも、遠くの国に飛び出したというその一歩は、
確かに私にとっての「自分軸の人生」の始まりでした。
人生の目標は、きっと変わっていっていい。
見つからなくてもいい。
でも、「誰かの期待」ではなく、
「自分の想い」から始まる選択をする勇気だけは、
いつからでも持てるものです。
これからも私は、
「自分軸」を探し続けながら、少しずつ、
少しずつ、
自分らしい人生を育てていきたいと思っています。
ぽっちゃりお腹も気にしない
スペインの太陽の下では、
すべてが本来の姿で生きているように感じられます。
木々は誰にも遠慮することなく空に向かって枝を伸ばし、
道端には名もない小さな花がたくましく咲いている。
日本の丁寧に手入れされた
美しさとはまったく違う、
計算されていない自然のダイナミズムが
そこにはありました。
特に南部では、
人の背丈を遥はるかに超える
巨大なサボテンが空に向かって
腕を広げるように立っていて、
「ここで生きているぞ」という静かな力強さに、
思わず足を止めて見上げてしまいます。
そして、
この生命力にあふれた
自然に包まれて暮らす人々もまた、
とても自由なんです。ビーチでは、
お腹のぽっちゃりしたおじさんたちが
なんの気負いもなく上半身裸で歩き、
おばあちゃんたちは明るい色のビキニで
笑いながら海に入っていく。
「今日は泳ごうか」「日光浴でもしようか」。
本当にただそれだけ。
彼らは自分の体を隠すのではなく、
むしろ太陽の恵みを全身で
受け止めようとしているかのようです。
汗をかいたランナーがそのまま
海にザブンと飛び込んだり、
60代の北欧出身の女性はいつも
バッグに水着を入れていて、
買物前でも、食事のあとでも、
気が向けばふらりと泳ぎに行っていました。
そんな自然体の姿を見ているうちに、
私も気づいたのです。
「この人たちは、
ほかの誰かのことなんて気にしていない。
ただ自分の時間を楽しんでいるだけなんだ」と。
この体験は、
私の「豊かさ」に対する考え方を大きく変えました。
日本にいた頃、
私にとっての贅沢はすべて
「手に入れるもの」でした。
少し背伸びしたブランドのバッグ、
特別な日の高級レストラン、
話題のスポットへのお出かけ……。
お金を使って何かを「所有すること」が
豊かさの象徴だと思い込んでいたのです。
ところがスペインで出会ったのは、
まったく違う種類の贅沢でした。
空を見上げれば、
風が木々を優しく揺らし、
カモメがゆったりと弧を描いて飛んでいく。
太陽の光が頬に当たるだけで、
「ああ、今日も生きているな」という
静かな幸福感が心に広がります。
なんでもない瞬間が心を豊かにしてくれる
通りすがりの人から
「iHola!(こんにちは)」と声をかけられ、
バスで隣に座った見知らぬ人が
「どの国から来たの?」と気さくに話しかけてくれる。
そんな、なんでもない瞬間が、
どんな高価な買い物より
心を豊かにしてくれました。
気づけば私も、
太陽の下で過ごす時間が
どんどん増えていきました。
バッグには薄手のスカーフを
常に忍ばせるようになって、
海岸沿いの芝生にそれを敷いては、
宿題をしたり読書をしたり、時には昼寝をしたり。
何も考えずにただ空を眺めて
過ごすことも多くなりました。
陽の光がまぶしくて、
草の香りが風に運ばれ、
遠くから波の音や人々の笑い声が聞こえてくる……。
それだけで心の奥深くにあった緊張がゆるみ、
自分が解放されていくのを感じるのです。
まるで子どもの頃の夏休みに戻ったような、
時間を忘れて過ごす贅沢な午後でした。
こうした日々を重ねているうちに、
私は自分がどれほど自然から離れた
暮らしをしていたかを実感するようになりました。
日本では毎日仕事と家の往復で、
窓から見えるのはコンクリートの建物ばかり。
いつの間にか四季の変化さえも
「風景の一部」になっていて、
緑に触れる時間や海の音を聞く時間は
「時間に余裕のある人だけのもの」だと、
いつしか諦めていたのです。
でもスペインでの暮らしは、
そんな思い込みをすっかり変えてくれました。
自然豊かな暮らし
自然と触れ合う時間は「心の栄養」になる
自然と触れ合う時間は贅沢でも特権でもない。
生きていく上で、
誰にとっても必要な「心の栄養」なのだとわかったのです。
芝生に寝転がって空を見る。
波の音に耳を澄ます。風の匂いを深く吸い込む。
たったそれだけのことで、
心にたまっていた疲れがするすると抜け、
自分の内側に新しい余白が生まれてくる。
そんな感覚があることを、
スペインに来るまで、まったく知りませんでした。
「何もしない時間」は、
実は「不要なものを手放す時間」だったのです。
長い間、どこかに置き去りにしてきた
「ありのままの自分」が、
ゆっくりと戻ってくるような感覚でした。
スペインの太陽の下で、
私は本当の豊かさというものを知ったような気がします。
それは何かを手に入れることではなく、
今この瞬間を心から味わうこと。
生きることの根本的な喜びは、
お金では決して買えないけれど、
誰もが等しく手にすることのできる、
かけがえのない贈り物なのかもしれません。