2026/3/15

かつては別の生き物だった ミトコンドリアが、 細胞の「死」を司る存在に!?  母系遺伝の謎にも迫る

 
 
 
 
 
 
 
 
 

かつては別の生き物だった

ミトコンドリアが、

細胞の「死」を司る存在に!? 

母系遺伝の謎にも迫る

 
 
 
 

命とは何か?「細胞」から見えてきた命の正体

 

 

塚越亮太+NHKスペシャル「人体Ⅲ」取材班


 

「不死の細胞を持った女性がいた――」

「細胞内を2本足で歩くものがいる!?」などなど、

命の最小単位「細胞」の秘密を知れば、

 

「まさか、こんなことが自分の体の中

で起きていたなんて!」と思うはずです。

 

 

最先端の生命科学が今「命」を解明中。

 

2025年ノーベル生理学・医学賞の免疫細胞の研究が、

がんなどの治療に応用されるように、

私たちも恩恵を被っています。

 

 

NHKスペシャル「人体Ⅲ」の書籍化

『命とは何か?「細胞」から見えてきた命の正体』は、

「あなた自身の命の秘密」を解き明かします。

 

 

 

 

 

エネルギー供給も細胞死も司る

「運命共同体」

 
 
 

ここまでで、

いかにミトコンドリアが生命活動にとって重要であるか、

 

おわかりいただけたと思います。

 

ミトコンドリアが産生するATPなくしては、

たんぱく質、ひいては細胞、

ひいては私たちの活動は成り立ちません。

 

しかし、

ミトコンドリアの研究が進むにつれて、

その役割がエネルギー供給にとどまらないことが

明らかになってきました。

 

なんと、

細胞の「死」すらも司っているというのです。

 

 

鍵となるのは、

ミトコンドリアの色を赤褐色たらしめている物質、

「シトクロムc」です。

 

これがミトコンドリアから漏れ出すと、

細胞内のたんぱく質たちの働きが変化し、

連鎖的な反応を経て細胞の自死

「アポトーシス」へと向かってしまいます。

 

アポトーシスとは、

個体をよりよい状態に保つために

能動的に起こされる細胞の死です。

 

 

私たちの人体はおよそ

40兆個の細胞でできていますが、

 

その中には分裂エラーなどによって

問題を抱えた細胞や、

機能が低下した細胞が日々生まれています。

 

そんな細胞を放置すると、

全体に悪影響を及ぼすため、

 

細胞自らが死を選ぶ仕組みが

アポトーシスなのです。

 

別名「プログラムされた細胞死」とも

呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

アポトーシスが誘導される経路はさまざまですが、

そのうちのひとつが、

先ほど述べたミトコンドリアから漏れ出す

「シトクロムc」がきっかけとなる経路です。

 

ちなみにアポトーシスの語源は、

ギリシャ語の「アポ(離れて)」と「トーシス(落ちる)」で、

「枯れ葉などが木から落ちる様子」を意味しています。

 

言葉の背景に情景が浮かんできて、

どこか詩的で印象的です。

 

 

それにしても、

かつては別の生き物だった存在が、

長い共生生活のなかでついには宿主の

生死までも左右するようになったとは。

 

このエピソードを聞いたとき、

ミトコンドリアは単なる細胞内の発電所ではなく、

 

文字どおり「運命共同体」

なのだなと強く実感しました。

 

 
 
 

精子のミトコンドリアは

受精後に抹殺される!?

 
 

「ミトコンドリア・イブ」という

言葉を耳にしたことがあるでしょうか。

 

お母さん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、

ひいひいおばあちゃん……と、

 

母方の系譜をたどっていくと、

 

およそ16万年前、

アフリカのとある集団に属していた

ひとりの女性に行き着くことが、

 

1980年代の研究から明らかになりました。

 

そして、

人類の祖となったこの女性を

ミトコンドリア・イブと呼ぶようになったのです。

 

しかしなぜ、

母方の先祖だけをたどることができるのでしょうか? 

 

そこに関係しているのが、

「ミトコンドリアDNA」と

「母系遺伝」というキーワードです。

 

 

ミトコンドリアDNA

 

ミトコンドリアの起源は、

およそ20億年前に私たちの祖先と共生が始まった

「別の微生物」です。

 

そのときのDNAが、

 

わずかにいまもミトコンドリアの

内部に残されています。

 

このことからも、

「本当に別の生き物だったんだ……」

という事実がうかがえます。

 

 

母系遺伝

 

母親の卵子に父親の精子が

合体して受精卵になる際、

両親から半分ずつDNAを受け継ぐことは

よく知られています。

 

 

では、

ミトコンドリアDNAはどうなのでしょう? 

実は、卵子のミトコンドリアのみが受け継がれ、

精子のものは一切継承されません。

 

そのため、

ミトコンドリアDNAをたどれば、

母方の系譜をさかのぼることができるのです。

 

前述の研究は、

このミトコンドリアDNAをさかのぼったものなので

ミトコンドリア・イブという名前がつけられたというわけです。

 

 

しかしなぜ、

ミトコンドリアDNAは母方のものしか

受け継がれないのでしょうか?

 

「精子にはミトコンドリアが存在しないのか?」と

思われるかもしれませんが、

 

実際には精子にもミトコンドリアが含まれています。

 

精子同士の熾烈な競争を勝ち抜くために、

尻尾の部分がせわしなく動いて泳ぐ様子を想像すれば、

 

ミトコンドリアが産生するATPが

大量に必要であることは明白です。

 

 

この疑問について、

群馬大学生体調節研究所の

佐藤美由紀教授から非常に興味深いお話を伺いました。

 

佐藤さんは線虫を使って、

ミトコンドリアの研究を行っています。

 

 

線虫は自然界では主に土壌に生息しており、

多くは1ミリメートル以下の小さな生物です。

 

マウスなどと同様に実験動物として、

世界中の研究室で広く使われています。

 

その理由は、

飼育が容易で世代交代が早いこと、

遺伝子操作が行いやすいこと、

 

さらには体が透明で観察しやすく、

人間と共通する遺伝子をおよそ

40パーセントも持っているため、

 

研究結果を人間に応用できる

可能性があることなどが挙げられます。

 

 

線虫のミトコンドリアも、

やはり母系遺伝です。

 

佐藤さんは線虫を使って、

「なぜ、精子のミトコンドリアDNAが

受精後に継承されないのか?

 

という疑問を、

世界で初めて解明しました。

 

 

「精子のミトコンドリアは、

オタマジャクシで言うところの尻尾の付け根に存在しています。

 

かつては、

受精時には精子の頭部

(父親のDNAが入っている部分)だけが卵子に入り、

 

尻尾は入らないと考えられていました。

 

それならば、

精子のミトコンドリアDNAが受精卵に

受け継がれないのも納得できますよね。

 

しかしのちに、

それが間違いであることが判明しました。

 

そのとき観察にはチャイニーズハムスターという

実験動物が使われていたのですが、

 

チャイニーズハムスターは

『めずらしく、精子の尻尾が卵子に入らない生き物』だったのです。

 

私たちヒトも含めて、

他の多くの生き物の場合、

精子は尻尾ごと卵子に入ります」

 

 

なんと、

初期研究に使われたチャイニーズハムスターが、

 

たまたま「精子の尻尾が卵子に入らない」

という性質を持っていたため、

 

長年にわたりそれが生き物に

共通の仕組みだと誤解されてきたのだとか……

同じ哺乳類でも、そんな違いがあるとは驚きです。

 

 

では人間の場合、

精子の尻尾と一緒にミトコンドリアも

卵子の中に入るのに、

どうして父方のミトコンドリアDNAは

継承されないのでしょうか?

 

 

「哺乳類を使った先行研究で、

卵子に入った父方のミトコンドリアが、

その後消失するという現象は観察されていました。

 

 

でも、そのメカニズムまで追求した研究がなかったのです。

 

そこで私は、

線虫を使って精子由来のミトコンドリアが

卵子から排除される仕組みを

解き明かそうと思いました」

 

 

受精直後には、

父方のミトコンドリアも一時的に存在しているのですが、

 

受精卵が分裂して2つ、4つ、

8つと増えていく過程で消えていく……。

 

佐藤さんの研究によって明らかになったのは、

その鍵を「オートファジー」が握っているということでした。

 

 

オートファジーといえば、

2016年に大隅良典さんがノーベル賞に

輝いたことで一躍有名になりました。

 

簡単に言うと、

細胞機能を正常に保つために細胞内の物質を分解し、

リサイクルする仕組みのことです。

 

 

オートファジーでは、

オートファゴソームという名前の膜構造が現れ、

不要なものを包み込み、

リソソームという分解器官に運んで分解します。

 

 

 

 

 

つまり父親由来のミトコンドリアは……

このオートファジーのターゲットとなり、

バラバラに分解されるということを、

佐藤さんは突き止めました。

 

この成果は、

世界的な科学雑誌『Science』に掲載されました。

 

 

このような仕組みが受精卵に備わっている理由については、

いまだ明らかになっていない点も多いそうですが、

一部の植物では逆に

「父方のミトコンドリアDNAのみが

遺伝する」種も存在するとのこと。

 

いずれにしてもほとんどの種において、

父か母、

どちらか一方のミトコンドリアDNAしか

遺伝しないようになっているといいます。

 

佐藤さんはこの現象について、

「生物全体に、ミトコンドリアDNAの継承は

片方に限定しようという進化的圧が

あるのかもしれません」と語っていました。

 

 

それにしても、

ようやく卵子にたどり着いたと思ったら、

「父親から必要なのはDNAだけですので」と

言わんばかりに分解されてしまう

精子のミトコンドリアに対して、

 

思わず同情的な気持ちが湧いてしまうのは、

細胞内世界に感情移入しすぎでしょうか。

 

 

 

 

 

「私たちの命は、地球上のどんな技術や

富をもってしても再現できない、

奇跡の存在です」と語るのは

ノーベル賞科学者の山中伸弥さん。

 

 

タモリさんは、

「この奇跡を、普通に生きましょう」と語った番組が、

NHKスペシャル「人体Ⅲ」です。

 

 

テーマは、

「命とは何か?」という生命科学における究極の問い。

「死なない細胞」の存在を追って、

著者の塚越亮太さんの取材の旅は始まります。

 

ひとりの女性の細胞が70年以上

死なずに増え続けるのはなぜか?

その細胞のお蔭で、

薬の開発や生命科学の解明が進みました――。

 

そして、

世界最先端の研究から、

命の最小単位である「細胞」の解明が今、

進んでいます。

 

細胞内は想像をはるかに超えた

「ワンダーランド」とも言えるような世界です。

 

 

 

 <参考: 植田晴美>