1喧嘩はするな、
2意地悪はするな、
3過去をくよくよするな、
4先を見通して暮らせよ、
5困っている人を助けよ、
あなたなら出来ます応援しています
ホームページ
美容室 Park Town (p-kit.com)
<ホットペッパ-ビュティー>
https://beauty.hotpepper.jp/CSP/bt/reserve/?storeId=H000746240&ch=1&vos=cphpbprocap0130408002
|


|
2026/8/31
|
|
「時間」とはいったい何か… 「人が変わっていく」ことの 本質を捉えた、 現代にこそ響く必読書 |
|
「時間」とはいったい何か…「人が変わっていく」ことの本質を捉えた、現代にこそ響く必読書あなたはまだ本当の〈時間〉を知らないー。 仕事に家庭、学校…時間に追われ、 せわしなく生きるすべての人へ。 ぐいぐい読めて、世界が変わる!
話題の新刊、平井靖史『はじめてのベルクソン』では 現代を生きる私たちが時間とどう 向き合うべきなのかが語られます。
書評家・渡辺祐真(スケザネ)さんは 本書をどのように読んだのでしょうか。 渾身の書評をご寄稿いただきました。
1年かけて何度も読み返したベルクソン論2025年の一年間を通して、 平井靖史『世界は時間でできている』という本を 何度も何度も読み込んだ。
フランスの哲学者 アンリ・ベルクソンの思想を軸に、 時間とは何かを考える本である。
ベルクソン(1859〜1941年)は科学にも 造詣が深く、 アインシュタインと討論を行うなど、 その思索の幅はダイナミックだ。
しなやかな文章とレトリックから、 夏目漱石や小林秀雄、 遠藤周作など愛読者も多く、 更にはノーベル文学賞にも輝いている、 世界的な人物である。
なぜ読み通すのに一年もかかったかといえば、 ベルクソンの思想があまりに途方もない スケールだったからだ。
時間をテーマにしているとは言ったが、 実際は時間をキーワードにして、 人間の意志決定や記憶、感性、 果ては生命の身体、進化、社会までも論じる。
しかもその手がかりとして、生物学、物理学、 心理学まで援用するものだから、 説得力もある。
2章くらいまで読み進めた段階で、
「こんな本は読んだことがない、 なんだかやばそうだ。だけどどうやら、 今の自分の枠組みでお手軽に 理解できるようなものではない」 と感じ、腰を据えて読むことを決めた。
結果としてそれが良かった。
『世界は時間でできている』を読む時間は、 私自身が変容する過程でもあったのだ。
この本を読み、 ベルクソンの思想と格闘することで、 私はじわじわと変わっていった。
それなりに本を読む方ではあるが、 このレベルで自分が変容できる読書は珍しい。
ベルクソンの考える意志決定と変容面白いことに、 「変容」こそがベルクソンのテーマだったのである。
簡単に説明しよう。
ベルクソンの関心の一つは、 人がどのように意志決定をするかだ。
例として、 交際しているAさんと結婚するべきかどうかで 悩んでいる場合を考えてみてほしい。
一般的な考え方は、 「結婚する」と「結婚しない」という選択肢があり、 それぞれのメリットやデメリットを数え上げて、 その計算結果に基づいてどちらかを選ぶ、 というものだろう。
だが、 ベルクソンはそんな単純ではないと否定する。
そのポイントは大きく2点だ。
まず、人の心は簡単には言葉にできない。
誰かと生きていくという重大事にまつわる事柄を、 漏らさず言葉にしたり、 簡明に切り分けたりできるだろうか。
「Aさんは優しい」「Aさんは収入が少ない」 「Aさんとは思い出がたくさんある」など、 具体的な美点や欠点を挙げることはできるだろうが、 「Aさんへの想い全体」を言葉にしようとすると、 どうやっても取りこぼしてしまうことになる。
あるいは、好きとか嫌いとか、 そう明確に分けることはできない。
言語化には限界があるのだ。
ベルクソンは、 この言語化こそが人間の思考の癖であり、 同時に落とし穴であることを強調する。
(ただし、言語化を否定しているのではない。 我々は言葉で考えざるを得ないから、 その癖や特徴をよく見極めるべきだと言っている)
したがって、 メリットやデメリットを言語化し、 数え上げるという選択方法を、 我々はしていない、 というかできないのである。
続いて、 数え上げ型の意志決定で見落としている ポイント二つ目は、 意志決定をしようと悩むことで その人が変容することだ。
悩んでいる当事者は、 悩む過程で必ず変容する。
結婚すべきか否かで一ヶ月悩んだとしたら、 悩み始めた時点と、 結論を出せた一ヶ月後では、 必ず何かが変わっている。
なにしろその一ヶ月は結婚するかどうかを、 常に自分の中で反芻させている。
となれば、目に映るもの、感じたことなどを、 結婚問題に紐づけることが度々あるだろう。
そうしてずっと悩んだことで、 少しずつ変化していくことになる。
その変容の結果、 決断を下せるようになったのである。
悩むという手探りの時間は、 無駄な待ち時間ではなく、 自己を内側から煮詰めて変容させていく プロセスなのだ。
そして、 その変容がいったいどんな風になるのかは、 変容前には予想がつかない。
仮にメリットやデメリットをいくら並べても、 主体の変容は分からないのだから、 要素の数え上げではうまくいかないというわけだ。
ある問題に向き合い、 自分が変容していくことこそが、 意志決定なのである。
以上がベルクソンの考えた 意志決定のメカニズムだ。
『はじめてのベルクソン』とはどのような本か話を私の読書体験に戻そう。
ベルクソンの言葉を借りるなら、 私は『世界は時間でできている』を 読むことで、変容した。
そういえば、 ベルクソンはこうした変容は、 ちょっとやそっとのことでは起こらず、 重大な決断、 時間のかかる決断でこそ起こると言う。
つまり、 私が一年という歳月をかけたことには 意味があったのだ。
いったい時間とは何か、 我々の意志決定はどのようになされるのか、 その問いに向き合い続け、
ベルクソンを読み抜くことで、 私は変容し、 ベルクソンの思想を受け入れられる 程度になったのである。
だが、さすがに時間がかかったし、 内容もかなり難しかった。
だから、人に薦めたいが (もちろん様々な場所で薦めたが)、 そう気軽にはオススメできなかった。
その衝撃は落とさずに、 それでいて親しみやすい本はないだろうか、 そう思っていた矢先、
同じく平井靖史による新書『はじめてのベルクソン』が 刊行されたのである。
『世界は時間でできている』が、 ベルクソンの思想をベースにしながら、 時間や進化といったテーマごとに論じていく 横割り型なのに対して、
本書『はじめてのベルクソン』では べルクソンの主著ごとにその内容が 紹介されていく縦割りである。
それぞれの良さがあるのだが、 『はじめてのベルクソン』の方が、 ベルクソンの足跡と共に、 読者が進めるため分かりやすい。
ベルクソンの主著4冊『はじめてのベルクソン』の主たる チャプターにもなっているベルクソンの主著とは、 『意識に直接与えられたものについての試論』、 『物質と記憶』、『創造的進化』、 『道徳と宗教の二源泉』の4冊である。
それぞれを簡単に紹介しておこう。
学位論文にしてデビュー作である 『意識に直接与えられたものについての試論』 (1888年)は、先述した、 意志決定の過程と変容が詳しく論じられている。
ベルクソンが批判対象としている 概念化の自明視は、 言語化を過度にありがたがる現代にも有益だ。
代表作でもある 『物質と記憶』(1896年)のテーマは、 感性や感覚、クオリアだ。
生命体(特に人間)は、 いったいどのように感性(何かに対するクオリア)を 手に入れたのか。
カレーライスを食べて「おいしいな」と感じたり、 夕焼けを見て「赤くて綺麗だな」と 感じたりする、 そういう「感性・感じ」だ。
というのも、 きっと石や植物はそういう感性を 持っていないだろう。
ということは、 人類は進化の過程のどこかで、 感性を手に入れたのである。
ベルクソンは、 その根源を「時間」に見出す。
赤い光を例にとってみよう。
赤色の光は、 一秒間に約400兆回も振動している。
ところが、 我々は400兆回の振動を見極められない。 というのも人間の視覚は、 およそ0.2秒より短い間隔で起きる変化を、 捉えられないからだ。
例えば、 映画は静止画を高速で連続させているだけだが、 我々には一続きの運動として見える。
同じように、赤色の光を構成する膨大な振動も、 全部を捉えることはできない。
では、その捉えきれない分はどうなるのか。
ベルクソンはそれこそが 「赤いという感じ(クオリア)」になると考えた。
こうした余剰分をひとまとめ(凝縮)にして、 感性に変換する説を「凝縮説」といい、 『物質と記憶』の重要なテーマとなる。
……と、いまさらりと説明したが、 よく分からなかったかもしれない。
それは私の説明が拙いこともあるが、 あまりにも常識から離れているためだ。
いかに革新的な考えかを腹落ちするためには、 ぜひ本書をじっくり読んでほしい。
三冊目であり、 ノーベル文学賞受賞理由の中心となった 『創造的進化』(1907年)では、 ガラリとテーマが変わって、 なんと生命の進化を取り扱う。
鳥が飛べる、蜂が毒針を持っている、 人間が二足歩行できるなど、 生物は様々な特徴を持っている。
環境に適応するために進化したと説明されると、 そういうものかと納得してしまうが、 よく考えてみてほしい。
この世に鳥(飛ぶ生き物)が 一切存在していない段階で、 飛ぶという特徴を発現させるという 進化の革新性は、 あまりにもすごくないだろうか。
ベルクソンは、 こうした生命の跳躍を、 生命の時間感覚から解き明かすのである。
最後の主著となる 『道徳と宗教の二源泉』(1932年)は、 タイトルの通り、道徳と宗教を扱う。
第二次世界大戦の足音が聞こえてくる頃、 人間社会にはなぜ道徳と宗教が生まれたのかを探る。
面白いのは、 人間個人の責任を完全には個人に帰さず 、社会の常識に広げて論じる点だ。
ここで著者は、 ベルクソン哲学が解き明かす 「社会地形」という強力な概念を提示する。
私たちが生きる社会の空気、常識、 不文律といったものは、 知らぬ間に私たちの歩行を方向づけている、 見えない「地形の窪み」のようなものである。
私たちが「自らの意志で、 社会のルールに従っている」と思っているとき、 実際はただその地形の窪みに向かって、 ボールが坂を転がり落ちるように行動している。
喩えるなら、 重力に押し戻されているだけなのだ。
『二源泉』では、 この固まった社会地形(閉じた社会)の境界線を突破し、 真の人類愛(開かれた社会)へと 非連続に「跳躍」するためには、
理屈や対話ではなく、 自らの全人格をもって新たな情動を体現する、 例外的な個人の出現と「共鳴」が必要であると説く。
以上がベルクソンの主著 (そして『はじめてのベルクソン』)の概略である。
さいごに『はじめてのベルクソン』は、 以上のようにベルクソンの主著に沿って、 ベルクソンの思想を親しみやすく語る。
著者自身が新書らしく、 読みやすくするために苦心したと語っている通り、 身近で楽しい例の提示、
テーマの絞り込み、 現代の知見も織り交ぜての解説が徹底されており、 とにかく分かりやすい。
だが、 ベルクソンの革新性は全く損なわれておらず、 私が『世界は時間でできている』で体験したような、 変容をきっと味わってもらえるだろう。
そのポイントは、 ここまで述べてきたようなベルクソンの 思考のスケールだろう。
意志決定のようなミクロから、 社会や進化といったマクロにまで、 自在に拡大・縮小する。
それが読者に変容を促すのである。
余談だが、 私は7月に空海に関する著書を刊行し、 その記念対談として、 お相手を平井さんにお願いした。
それは、ベルクソンと同じく、 空海(仏教)も、 世界や生命のスケールを拡張・収縮することで、 世界の捉え方を変えようとしたからだった。
ベルクソンは、 宗教をシステマチックなものとして論じているが、 本書を通して出会えるベルクソンの スケールの大きさ(細やかさ)には、 どこか敬虔な気持ちすら抱いてしまう。
私の中で、 仏教とベルクソンは繋がっている。
通り一遍の情報や、 わずかな時間で摂取した情報からは、 感動も敬虔な気持ちも得られない。
だから願わくば、 本書は一度で読み切ろうとせず、 じわじわと変容しながら、 たっぷり時間をかけて読んでもらいたい。
それだけの時間を投じる価値がある 一冊なのは間違いない。
あなたがどのように変容するかは、 全く未知数ではあるが。 <参考:渡辺 祐> |
|
| |