2019/6/13
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死の淵から回復した方の体験談!!パート1 |
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死の淵から回復した方の体験談!! それは心身ともに壮絶な闘いだった辻朋子さんの体験談です。 それは私自身、死を覚悟したとはいえ、壮絶な闘いでした。 身体も心もズタズタで、良いものも悪いものもことごとく破壊され、 体内で戦争が起こっているようでした。 抗がん剤は爆弾のようだ!と言った方がいましたが 本当でした。 「私はまだ54歳、でもこのまま肝臓ガンで死ぬんだ!」 と諦めていた半年後のある日、 ビーワンとの出会いが突然やってきました。 それは何か大きな目に見えない力が私を導いてくれたのでしょうか? 今、思えばそれは水の神様だったのでしょうか!? 肝臓ガンで医師から余名半年と宣告! 27歳から夫と二人でカレー料理店を始めて30年になりますが、 その間、54歳の時に肝臓ガンと診断され、 いきなりガン患者となりました・ お医者様が申すには「リンパと肺に転移していますので 手術も難しいし、薬もありません」 さらに「余名は半年」と宣告されました。 「私は54歳、まだまだやりたいことも沢山残してるし、 希望に満ちた人生の計画もある・・・」と思いながら 恐怖と絶望を感じ、手足は震え、大粒の涙が 次々と床に落ちていきました。 お世話になっているお医者様を否定するわけでは ありませんが、患者にとって聞きたくないことを よく言ってくださったと思いました。 それでも頼りにしたいのはお医者様です。 とにかく手術をして下さる医者や病院を探さなくてはなりません。 不安と恐怖で震えながら、一心不乱でというか 無中でというか、その時は肝臓ガンを切り取ることしか 頭にはなく、ようやく手術して下さる病院を探し当てました。 麻酔の時、耳元で看護師さんが「先生、麻酔に失敗しました」 とささやくのです。 また不安をつのらせ涙を流したいるうちに、2本目の 注射で意識がなくなっていきました。 目が覚めると病床にいました。 「まだ生きていたんだ!」とフッと生命のような感覚が 脳裡をかすめました。 それから抗ガン剤の治療が始まりました。 人づてに以前噂などでも抗ガン剤のことは 耳にしておりましたが、まさか自分がその身に なるとは夢にも思っていませんでした。 たいした副作用はないと当時の医者様や看護師さんに 元気づけられていたのですが、とんでもありません。 嘔吐、下痢、鼻血と次々と身体に異常が起き、 私の身体も心もズタズタになっていきました。 「抗ガン剤は爆弾ようだ」と言った方がおりましたが まさしくその通りだと思いました。 良いものも悪いものもことごとく破壊され、 体の中で戦争が起こっている様でした。 身体はボロボロ、心はズタズタ、恐怖の中で耐えていけるの だろうかと思ったものでした。 半年が過ぎ、食欲もなく瘦せ衰え、死を覚悟していた頃、 佐賀に在住の先生にお会いし、私は最後の挨拶をしました。 先生はお医者様ですが、なぜか私に「神様の宿る高千穂の ぶどうの樹」に行きなさい。そして女性の神様の秋元神社にお参りをして そこのお水を頂いて来なさい」と言われました。 私は最後の力を振り絞り、何百段かの階段を這うように登り、 お参りをして来ました。 ようやく辿り着いた「ぶどうの樹」その日一日は不思議な ことばかり起こりました。 あんあに食欲がなかった私なのに食事が身体にスーッと 自然に入っていき、今まで忘れていた味覚も戻ってきて、 人間らしさのエネルギーがみなぎってきました。 ビーワンとの出会いは、そのすぐ後でした。 何かに導かれるように美容室へ入ったのが、永丘さんが オーナーの「髪結い処夢屋」でした。 永丘さんはいろいろとアドバイスしてくださいました。 抗がん剤で毛髪が抜け落ち、カツラが気になりカットをしに 行った時、永丘さんがビーワングレースを振りかけると、 ツヤツヤとなりカツラが生き返ったように元気になっていきました。 その時、下痢がひどくて治療が中止されていることを話すと、 ラクティストを勧めてくれました。 飲み続けて4日目に下痢が止まり、 身体が元気になっていくのが分かりました。 (次号につづく) 1喧嘩はするな、 2意地悪はするな、 3過去をくよくよするな、 4先を見通して暮らせよ、 5困っている人を助けよ、
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