2025/4/18
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なぜ現代人は 「みんな苦しい」のか… 不幸をもたらす 「価値あるものの奪い合い」の正体 |
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なぜ現代人は「みんな苦しい」のか…不幸をもたらす「価値あるものの奪い合い」の正体人生を変える「経営教育」 岩尾 俊兵
私たちの「苦しさ」の正体は 「価値あるものの奪い合い」でした。
そして、価値奪い合いは 「価値あるものは有限だから他者から奪うしかない」 という思い込みから生じています。
ですから、 価値奪い合いから脱するには 「価値創り合い=価値創造」 が可能だという 思考の転換が必要だったわけです。
このとき、 価値奪い合いは価値有限という前提から出発し、 価値創り合いは価値無限という前提から出発します。
つまり両者は「パラダイム=思考枠組み」が 180度異なる思想なのです。
二つのパラダイムを使いこなすためには、 パラダイムの上位にある 人生観・哲学が必要でした。
そこで、 実際に価値創造を体感してもらいつつ、
二つのパラダイムの背後にある 経営論をおさえていただきました。
これによって、 読者の方々それぞれに二つのパラダイムを 使いこなす視点が生まれる 手助けをおこなってきたわけです。
こうして抽象的な思想から 具体的な実践に降りてきて、 再び抽象的な思想へと戻ってきました。
これは本書の冒頭で予告していたことでもあります。
経営学の特徴は客観的な 「上空からの視点」と主観的な 「目線の高さの視点」を恐れずに 往復するところにあります。
企業経営だけでなく非営利組織や 政府の経営、家庭や人生の 経営まで扱う経営学の特徴は、
従来言われていたように研究対象で (会社の経営を扱う学問というように) 決まっているわけではありません。
むしろ、 この「視点の往復」こそが本質的な 経営学の特徴だと筆者は考えます。
この往復運動には学問としては かなりの不正確さと評判悪化のリスクがともないます。
実践に降りてくる段階で、 どうしてもあいまいで根拠に乏しい点が出てくるからです。
経営学は、 そのリスクを取れる数少ない学問分野だと思います。
経営学が上空だけにとどまって 「自分は賢いんだ。
学問は分からないほうが悪いんだ」と 評論家的に居直れるなら楽でしょう。
しかし、 経営学には「目の前の人の役に立ちたい」 という使命感があります。
たとえボロボロに見えても、 鮮やかでなくても、役に立つと言ってくれる人がいて、
実際に一定の成果が出ていればそれでいいのです。
あとは実践のデータをもとに改良を続ければ いいという発想が経営学にはあります。
しかし、 これだけの学問的なリスクを取ってまで 目指す未来が、
誰もが「心から良い」と思えるものでなければ無意味です。
ですから、 本書が提案する価値創造という思想がどのような 社会と世界を実現するのか 描いてみせる必要があるでしょう。
脱有限と脱有形のポスト資本主義の姿そこで本章のテーマになるわけです。
価値創造の民主化によって社会と世界はどう変わっていくのか。
価値創造の民主化が、 個人と組織にとってのメリットにとどまらず、 より広く社会と世界にとってどんな メリットをもたらすのか考えていきます。
本書はここまでで二つの発想転換を提案していました。
一つめは、「価値有限」から 「価値無限」への発想転換です。
こちらのほうはすでに何度も確認済みでしょう。
もう一つは、「有形生産手段」から 「無形生産手段」への発想転換です。
こちらはすぐにピンとくる人は 少数派だと思います。
次に詳細を説明していきます。
価値は創り合いができます。 脳みそと身体を使って地球を組み替えることで、
新たな機能を取り出し、 その機能に人間は価値を感じることができるからです。
その意味で、 我々は人口の数と同じ数の油田や金鉱を 脳みそと身体とに持っているようなものです。
もし通常の油田や金鉱が大量に見つかっても、 石油や金の価格が下がるだけです。
しかし、 価値を生み出す脳みそと身体が大量にあれば、 多様な価値が生まれます。
通常の石油や金と違って、 多様な価値は多様ですから価値が下がりません (専門的にはこれを「差別化」といいます)。
通常の油田や金鉱には掘削の必要性があります。
同様に、 人間の脳みそと身体が価値を次々と 創造できるようになるのにもある種の掘削が必要です。
価値が出てくるように脳みそを掘る。
価値を実現できるように身体による 行動がともなうようにする。
そのために色んな道具をインストールする 必要があるのです。
そして、 脳みそと身体にとっての掘削道具とは 「知識」と「意識」だと考えられます。
通常の石油と金を掘るには広大な土地と 機械が必要です。
ですから、 これらを独占する資本家だけが豊かになり、 労働者は搾取されます。
このとき、 お金を生み出すために必要な道具のことを 「生産手段」といいます。
土地や機械は生産手段ですが、 目に見えて有限な「有形生産手段」です。
有形生産手段を共有するには、 資本家から労働者が有形生産手段を 「奪う」革命しかなくなります。
でも、価値ならどうでしょう。
価値を生み出すのは経営知識と経営意識です。
前章でみてきたように、
これを持つ人や組織は豊かになり、 持たざる人・組織は貧しくなるでしょう。
ここまでは先ほどと一緒です。 しかし、この先は違います。
知識と意識という生産手段は目に見えず 無限に増殖可能です。
知識と意識は誰かと共有しても減りません。
資本家と労働者が奪い合いをする 必要がないのです。
ほんのちょっとお互いが歩み寄るだけです。
経営者は経営知識と経営意識を従業員に共有する。
従業員は自分も人生の経営者だという 意識を持って仕事に前向きな 責任を持つ。 それだけです。
豊かさを生み出すための道具も無限、 その道具を使って生まれる成果も無限。
本書が提案する「価値創造の民主化」ならば、 有限の価値を奪い合う資本主義の限界も、 有形(有限)の生産手段を奪い合う共産主義の限界も、 超克できます。
カネの論理とヒトの論理の 「いいとこどり」ができるのです(図7‐1)。
これこそがポスト資本主義社会の 姿ではないでしょうか。
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