2025/5/26

じつは「全地球的」に広がっていた… 細胞の外に「放り出されたDNA」。 その、衝撃の運命をたどる

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

じつは「全地球的」に広がっていた…

細胞の外に「放り出されたDNA」。

その、衝撃の運命をたどる

 
 
 
 

武村 政春


 

美しい二重らせん構造に隠された

「生命最大の謎」を解く! 

 

 

いわゆる生物の〈設計図〉の一つといわれる

DNAの情報は「遺伝子の本体である」と言われます。

 

しかし、

ほんとうに生物の設計図という

役割しか担っていないのでしょうか。

 

そもそもDNAは、

いったいどのようにして

この地球上に誕生したのでしょうか。 

 

 

世代をつなぐための最重要物質でありながら、

細胞の内外でダイナミックなふるまいを見せるDNA。

 

その本質を探究する極上の生命科学ミステリー

『 DNAとはなんだろう 』から、

 

細胞内ではなく、

体の外の環境中にあるDNAについての

考察をお届けします。

あなたのDNAへの見方が一変することでしょう。 

 

 

 

 
 
 
 

道端に吐き捨てられた

「究極の個人情報」

 
 

冒頭から尾籠(びろう)な話で恐縮だが、

道を歩きながらツバを吐く人たちを

見かけることがある。

 

ツバだけならまだしも、

「カーッ、ペッ!」とばかりに

痰まで吐き出す人もいる。

 

 

じつにキモイ話で申し訳ないが、

ここで重要なのは、

そうして吐き出された唾液なり痰なりの中には、

その人の遺伝情報であるDNAが、

ものすごく大量に含まれているということだ。

 

 

ツバや痰を吐いた人のすぐ後ろに、

もしも怪しい人間がいて、

サンプリング用のスポイトと

サンプル瓶をもっていたとしたら、

 

 

今の技術であれば、「カーッ、ペッ!」と

やった瞬間に「へっへっへ」などと

悪い表情を浮かべながらそれらをサンプリングし、

 

吐き出した人の遺伝情報を簡単に

ゲットしてしまうことだろう。

 

 

それはすなわち、

「究極の個人情報」となる。

 

 

 

「放り出される」DNA

 
 

ツバや痰に限らず、

汗や涙、呼気中の水分やその他の排泄物など、

 

人間はつねに、

なんらかの液状成分を体外に放出している。

 

また、皮膚の表面からは古くなった

表皮細胞がつねにはがれつづけており、

 

それらの中にはほぼ確実に、

その人の細胞とDNAが含まれている。

 

 

体外に飛び出した細胞は壊れやすいから、

細胞中のDNAは細胞外の環境中に、

いとも簡単に放り出される

(図「簡単に放り出されるDNA」)。

 

 

つまり、僕たちが今いるこの環境中には、

細胞の中にあるDNA以外のDNAが、

じつに大量に存在しているということである。

 

生物の設計図としては意外に思われるかもしれないが、

じつは細胞の「外」にも、

大量のDNAが存在しているのだ。

 

 

 

【図】簡単に放り出されるDNA
 
 
簡単に放り出されるDNA

 

“遺伝子の本体”という「二つ名」をもつとはいえ、

DNAはあくまでも一つの物質にすぎない。

 

 

外部環境から守られた細胞という

閉鎖空間の外側に出てしまうと、

 

それはこの物質にとって、

おそらくは強烈に過酷な環境となる。

 

いくら安定的なDNAでも、

細胞外の環境では、

かなりの分解圧力にさらされていることだろう。

 

 

だとすれば、

いったいなぜ、そしてどのような経緯で、

そんなところにDNAは存在するようになったのか。

 

そしてそれは、

DNAが〈好き好んで〉存在している状態なのか。

 

 

「カーッ、ペッ!」のようなDNAの外界への

放出メカニズムを主流とするなら、

 

そして、

DNAの本来の存在場所が細胞の中

(真核生物では細胞核の中)であるのなら、

 

細胞外のDNAは〈仕方なく〉

そこに存在しているようにも思えるが、

果たしてほんとうにそうなのか。

 

 

細胞外に放り出されたDNAの運命を探ってみよう。

 

 

〈見捨てられた〉DNA

 
 

「細胞の外に存在している」ということは、

別の見方をすれば、そのDNAは、

 

もはや「遺伝子としては、

はたらいていない」ことを意味している。

 

 

もしかしたらDNAは、

決してひとところ

(たとえば、生物の細胞の中)にとどまって、

 

遺伝子然として「あれせえ、これせえ」と

指令を出すだけの存在ではないのかもしれない。

 

もっとせっせと動き回って、

しかもそれは、トランスポゾンのように

細胞中やゲノム中だけではなく、

 

細胞外の世界にも及ぶもので、

それどころか、

その行動範囲はじつに全地球的に広がっているーー

 

そんな可能性すら秘めている物質なのかもしれない。

 

 

放り出されたDNAとして最も有名なものの一つが、

「ミトコンドリアDNA」だろう。

 

いやむしろ、

あえて言い過ぎを承知でいえば、

 

ミトコンドリアDNAは、

放り出されたうえに〈見捨てられた〉

存在であるようにも思える。

 

 

ミトコンドリアは、

高校の生物教科書にも掲載されている、

「細胞内共生説」の主役として有名な

真核生物の細胞小器官である。

 

細胞小器官としてのミトコンドリアの〈本務〉は、

呼吸を司り、

 

エネルギー物質である

「ATP(アデノシン三リン酸)」をつくることだが、

 

その正体は、

かつて真核生物が誕生した際に、

"外部”から入り込んできた「好気性バクテリア」だ。

 

それが真核生物の祖先の細胞(嫌気性の細胞。

アーキアの一種)と共生関係を結んだ結果、

 

ミトコンドリアへと進化したものであると

考えられている

(次ページの図参照)。

 

 

 

かつてのミトコンドリアは、

好気性バクテリアだった時代のDNAを

保持していたはずである。

 

そして現在のミトコンドリアも、

その〈痕跡〉のようなDNAをもっていることが知られている。

 

 

 

 

消えた遺伝子はどこへ?

 

〈痕跡〉とはどういう意味か?

 

今のミトコンドリアは、

たとえば真核生物の中から取り出して培養しても、

もはや自立して増えることはできない状態になっている。

 

なぜなら、

ミトコンドリアのDNAはすでに、

いくつかの重要な遺伝子を〈失ってしまっている〉からだ。

 

「〈痕跡〉のようなDNAをもっている」とは、

そういう意味だ。

 

 

実際、ミトコンドリアのゲノムは1万塩基対前後であり、

コードしている遺伝子の数も10個程度であることが多い。

 

これは、

バクテリアの遺伝子の数に比べてもきわめて少ない。

彼らはたいてい、

1000個くらいの遺伝子をもっているからだ。

 

 

つまりは

、ミトコンドリアのゲノムDNAが、

進化の過程でずいぶん

小さくなってきたことがよくわかるのだ。

 

小さくなった理由は、

多くの遺伝子が〈どこかに消えた〉からである。

 

そんな〈どこかに消えた〉遺伝子の代表格が、

ミトコンドリア(の祖先)が自らのDNAを

複製するために用いていたDNAポリメラーゼ遺伝子だ。

 

現在のミトコンドリアのゲノムDNAには、

すでにこの遺伝子は存在しない。

 

 

DNAポリメラーゼがなければ

DNAの複製ができないから、

ミトコンドリアは、

単独では増殖できないということになる

(図「ミトコンドリアの進化と「消えた」遺伝子」)。

 

 

 

【図】ミトコンドリアの進化と「消えた」遺伝子
 
 
 
ミトコンドリアの進化と「消えた」遺伝子。
 
 
僕たちの祖先細胞に共生した
 
好気性バクテリアの遺伝子のうち、
 
 
多くが消えて、
 
ミトコンドリアは
 
「痕跡のようなDNA」しか持たない
 

ならば、

この重要な遺伝子は、

いったい〈どこに消えた〉のか?

 

 

引き続き、

ミトコンドリアが失った重要な

遺伝子の足跡を追ってみよう。